FM翔愛わふわふラジオ 最終回のお知らせ

皆様、おはこんにちばんは。
FM翔愛わふわふラジオ、チーフディレクター、小日向ゆのです。

表題の通り、今月、2018年12月放送を以て、「FM翔愛わふわふラジオ」最終回となります。
2010年9月、第1回修学旅行先の大広間から始まりましたわふラジですが、
今回、諸般の事情により、放送を終了させて頂く事と相成りました。
わたしは、初回放送の時は、まだわふラジに加入しておらず、2011年5月頃から、放送に関わっています。

さて・・・部長からお許しを頂いたので少し、裏話を。
わたしは普段、告知記事を書くときは「チーフディレクター」を名乗っているわけですが・・・
実は、当初はディレクターでは、なかったんです。加入当初は、「構成作家・放送作家」でした。
つまり、放送の内容や枠組みを創る、ために加入したんです。
その後、放送運営などにも関わるようになり、「チーフディレクター」を名乗るようになったわけです。
じゃあ、わたしが普段放送で何をしていたか、というと・・・・・裏方全般。
各種告知を書いたり、イベント申請を書いたり・・・・しているわけです。
なお、FM翔愛では、書き込む文書はほぼ雛形化されているのですが、この雛形の管理と更新などもしています。
一番使う人が管理するほうがいいですからねー。
そして、加入当初からしているある意味一番大事なこと。
放送の進行表にして台本たるQS(キューシート)!これを作成しています。
とはいっても、コーナー毎に、パーソナリティの中で担当者が決まっており、(主に発案者が務めます)
わたしは担当者が出したものを、公序良俗に反してないか、誤字脱字がないかなどを確認し、
また放送内容に対して、分かりにくいところがあれば、増補改訂の指示を出したり、
時には内容について、おかしい所があれば、資料を調べて、修正指示を出したりするわけです。
たまに、わたしが書いている事もあります。
そして、放送当日となれば、会場を開けて、スマートBBSに告知を出す。
メールが来ていないか確認し、来ていれば、放送用のスカイプチャットにそれをコピペ!
それと並行して、タイムキーパーとして、進行時間を管理する。
と、改めて書いてみましたが・・・・・・・・めっちゃ色々してました。

閑話休題それはさておき、
8年3か月、101回の長きに渡り、ご愛顧を頂きまして、誠にありがとうございました。
真に残念では、ありますが、FM翔愛わふわふラジオ、これにて閉幕となります。
しかし、わふラジ終われどもFM翔愛終わらず、との願いを込めまして、この一言で最終回のご挨拶とさせて頂きます。
「もうちょっとだけ、続くんじゃ。」

2018年12月吉日
FM翔愛わふわふラジオ 副部長兼チーフディレクター
小日向ゆの

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みなさまこんにちは。
FM翔愛わふわふラジオ、部長の厨川 和真です。

2010年9月、「ラジオ」という僕のぼやきを聞いて集まってくれた皆様によってはじまったラジオでした。「ラジオを聞くリスナーで人の輪が出来て、それによってキャラフレが少しでも末永く続きますように」とのスローガンを掲げ、8年3ヶ月、101回と長い間、毎月末土曜の放送を続けさせて頂きましたが、諸般の事情により、今月で「わふわふラジオ」としての放送を終了させて頂くことになりました。

当初FM翔愛がかかげたスローガン自体の実現には(我々の力かどうかはよく分かりませんが)成功し、キャラフレはその決意をもって放送を始めた8年後の今でも、このように存続しています。しかしながら、肝心の我々パーソナリティを含む、放送を行う側の人間は、完全に世代交代に失敗しました。

本来、ネットラジオのパーソナリティというものは、3年間程度も経てば、身辺の環境の変化(進学、卒業、転職、昇進、転勤)がもとになって、元のように放送が出来なくなるのが常であり、僕がわふラジを立てる前に知り合った友人とやっていたラジオも、3年をたたずしてたたむことになりました。

そのようなことがあったので、FM翔愛を発足したときの僕の目標は、常に組織を新陳代謝させることでした。逆に、新陳代謝させなければ、長きにわたって放送を続けることが出来無い、ということを考えていたのです。何より我々FM翔愛は「部活」ですから、普通の学校の部活と同じように、世代交代がしたかったのです。

はじめの2年ぐらいはこれがうまくいっていました。パーソナリティは12名を常に超える状態で、放送を2日に分け、沢山の放送コーナーを回し、月のリスナー数も50名に達しようか、という頃も御座いました。いよいよ、放送サーバだけ貸して、放送をいろんな人にやってもらえる体制が作れるかな、と思っていました。

しかし、現在の僕たちの状況を見ておわかりの通り、結果的に僕たちは失敗しました。今、最後まで放送を支えてくださっているわふラジメンバーの皆様は、結果的に身辺の環境変化にも耐えきって、ほぼ最初から放送を続けてくれている屈強なチームのメンバーになります。ここ数ヶ月の、フリートーク3時間の放送にも耐えてくれる子達です。今でもこの放送を続けられているのは、この屈強なメンバー達が、放送を維持しようと頑張ってくれているからに他なりません。正直、部長である僕がまともに部会に出れるのが土曜日のみになってしまった昨今、副部長の小日向の力なくば、部がまともに回らない、という状況でした。しかも、それが常態化しています。

しかし、組織が新陳代謝しなければならない理由となっている「身辺環境の変化」という問題は、ひとしく我々今のパーソナリティにも降りかかっています。

8年という時間は、中学3年生ですら社会人になってしまう期間です。放送の間に失職と転職をしたメンバーも、大病を患ったメンバーもおります。僕も喘息を患いました。等しく、皆、8年という時の中で歳をとり、身辺環境の変化がございました。

8年前、当時2浪して入った大学で3度目の留年をしていた僕ですが、8年という時間の間にまたもう1年留年しつつ大学を卒業し、その後も大学生当時のアルバイト先の契約を業務委託に切り替えてお仕事も続けていたところでご縁があり、遅ればせながら30歳にして社会人1年生となり、自分で開発した製品をお客様に納品するような立場にもなりました。私事では御座いますが、昇進も果たしました。昔よりも、ラジオにかける時間が取れなくなっていっているのは事実です。二十代の頃のようにハリのある声のまま、というわけにもいかず、僕の声にもオッサンらしさが出てきました。

下手をすれば、僕に至っては「部会と放送以外でキャラフレにログインしていない」状況であり、これで公式部活の代表、というのは如何なものか、という思いは1年ほど前からくすぶっていましたし、放送を続けるにしても、いよいよパーソナリティの不足は深刻化しております。

今回の決断は、一度どこかでリセットしたい、ちゃんと番組を再編したい、という思いでの決断となります。FM翔愛自体をたたむお話では無いので、部としては、何らかの形で存続させるつもりでおります。

ひとまず、3ヶ月間、僕たちに休憩期間をください。「わふラジ」としては一旦活動を終えますが、何らかの形でラジオを再開するつもりでおりますので、もう暫くお待ちください。

リスナーの皆様にまたお声を届ける事が出来ればと、切に願っています。

2018年12月吉日
FM翔愛わふわふラジオ 部長
厨川 和真

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